デトックスエステ痴漢
四客のテーブルを長方形に配置された会議室に、数人の女性が向かい合っていた。
節電の為に消灯された部屋は、ブラインドの隙間から漏れる光に、茫々と包まれている。
稲沢亜季はテーブルの隅で、欠伸をかみ殺した。
苦痛な時間が、雑音とともに過ぎていく。
毎日繰り返される、同僚の噂。上司の愚痴。ドラマ。芸能人のゴシップ。
半ば強制的に付き合わされるおしゃべりにも、そろそろ苦痛になってきた。
話題を探し、適当に相槌を打ち、適当に話をあわせる。ばからしい作業だといつも思う。
そうかといって、メンバーから抜けるのも、理由を探すのが面倒だ。
亜季は、壁の時計を見る。昼休みはまだ、20分も残っていた。
ふと、正面の川名静子が取り出した、小さな茶褐色のクスリビンに亜季は目を留めた。
静子は派遣されたばかりの亜季を、この昼食に誘ってくれた先輩だ。
静子は2、3粒の錠剤を、お茶とともに喉に流し込んだ。
「川名さん、風邪ですか?」
別に彼女の体調が心配なわけでもない。ただ、見つかった話題を口にしただけだ。
「ん、デトックス。今日から始めたの」
静子は瓶を亜季に向ける。ラベルにαーリポ酸とあるのが読める。
「あ、先週やっていたヤツ?」隣の祐子が間に入る。
「デトックス? 何でしたっけ」
静子は亜季から目を外し、ふっと鼻で笑う。
悪気はないのだろうが、人を小ばかにしたような仕草には、まだ慣れない。
「毒抜きのことよ。身体に毒が溜まって、悪さをするんだって。
たとえば、お肌が荒れたり、痩せられなくなったり、だるくなったりしたりするの。
その毒を抜いているの」
「へえ、毒って、たとえば……」
「えっと……鉛とかだったっけ。それがいつの間にか身体に溜まっているの。
つまり、新陳代謝が悪くなるって言うのかな」
「ふうん」
ひどく断片的だ。どんな毒か曖昧だし、どう悪くなるのかわからない。
どうせ前にテレビで放送されていたか、雑誌の受け売りなのだろう。
そういえば、ちょっと前までは、寒天の粉をご飯にふりかけていたような気がする。
彼女してみれば、こういう類の健康法は、髪型や洋服やアクセサリと同じような、
流行りものの一つにすぎないのだろう。言うなれば、一つの趣味だ。
健康、不健康と言うのは、始めから問題ではないのかもしれない。
瓶をしまう静子の手元を見ながら、意地の悪い考えにふけっていると、
静子が唐突に言った。
「今週末、暇?」
「え?」
「栄で、デトックスエステっていうのがあるの。行く?」
興味があると勘違いされたのか。
静子は亜季の反応を意に介さず、女性誌を取り出し、カラフルなページを亜季の前に広げて見せる。
女性誌にありがちな美辞麗句。女性の寛いだ顔が、文字に被さるようだ。
静子はページを繰りながら、幾つかの広告が並ぶページでを指差す。
『毒素排出! エステと気孔を組み合わせた全く新しいデトックス。
東洋の神秘が貴方のキレイを200%アップします』
他の広告と違い、色使いは非常にシンプルだ。お決まりの体験談も無い。
けれど、気孔というのがいかにも胡散臭い。
「いかにも怪しくないですか? これ」
「そう? 話を聞く限りだと、良いらしいよ」
「そうですかねぇ」
「行ってみない? 1人だとちょっと心細いの」
「え? あの、あ、私は……」
返事に戸惑っているうちに、昼休み終了を告げるメロディが流れ出した。
心待ちにしていたノクターンが、今日は腹立たしい。
「じゃあ、日曜の10時に。栄の「ソレント」でいい?」
「あ……、はい……」
静子は持っていた雑誌を亜季に手渡すと、会議室から出て行った。
*
薄い青色のガラスの向こうを見上げると、鉛色に濁りはじめていた。
見下ろす景色も何処と無く煙って見える。
雨が降り出す前に、さっさと終わらせて帰りたかった。
掃除もしたいし、まだ見ていないビデオが2本もある。返却日は今日だっけ。
いらいらしながら時計を見る。10時はとうに過ぎていた。
けれど、静子の姿はまだ見えない。
亜季は二杯目のレモンティーを注文した。
静子から受け取った雑誌を飛ばし飛ばし読む。
中身の無さなのか、焦燥感からなのか、内容が頭に入っていかない。
ページを繰っているうちに、携帯電話が鳴った。静子からのメールだった。
「ごめん~、彼が急に来たのよ。もう着いてるよね。明日感想聞かせて」
亜季は画面の文字をぼんやりと眺めた。ふつふつと怒りが沸いてくる。
もっと早く言え。せめて1時間前に。
亜季はそう返信したい衝動を抑え、携帯を閉じた。
それにしても、メールでなく直接電話でも良いではないか。
嘗められているのか。
けれど、この程度で腹を立てていては、派遣稼業はやっていけない。
帰ろうと席を立つ。けれど脳裏に「感想聞かせて」の文字がちらついている。
もし行っていないのであれば、何か言われるだろうか。
真綿で首を絞めるように嫌味を言われるのは、耐え難い。
それに、折角休日に栄に出てきたのだから、このまま帰るのも癪だ。
行くだけは行ってみよう。嫌なら直ぐ帰ればいいだけだ。
亜季は会計を済ませ、店を出た。
店はすぐに見つかった。一階がすし屋の、雑居ビルの4階だ。
エレベータを出る。直ぐ前が入り口になっている。
清潔に整頓された店先と、白を基調とした外観の色使いからは、
広告で感じたのと同じような、落ち着いた印象だ。
「いらっしゃいませ」
入り口をくぐると、小さく声が響く。小柄な女性が笑みを浮かべ見ている。
目には、どことなく生気が無い。
亜季は少し不安になりながらも、体験コースを、とチケットと代金を差し出した。
受付の女性は、パンフレットを差し出して説明を始めた。
施設の説明、料金体系、施療の内容。その後、亜季は待合室のようなところに案内された。
待合室には、すでに数人が待っていた。皆亜季と同じような年代の女性たちだ。
ここでデトックスとやらの講義でもするのだろうか。
亜季は椅子に座り、もらったパンフレットを見る。
入会金10万、そして1回の施療が5000円か。
妥当な料金なのかは分からないが、高いのは確かだ。
それにしても、月会費でなく1回ずつの従量制というのは珍しい。
足繁く通ったとすると、余りに高額になる。
暫くして数人の女性が入ってきた。揃いの制服を着ていることから見て店員だろう。
案内されるままに奥に進む。
部屋を出て直ぐの廊下には、右側にいくつもの扉があった。その扉に一人ずつ案内される。
どうやら全体説明は無いようだ。
部屋に入ると先ずその狭さに驚く。三畳程度だろう。
シングルベッド。洗面台。それにエステの冶具と思しき機械。
壁や天井は全て白で統一されており、清掃も行き届いている。汚さや暗さは感じられない。
けれど、窓から注ぐ柔らかな陽光、開放的な空間に漂うアロマというのを想像していただけに、
亜季は少しばかりの落胆を覚えた。
それにしても、この空間から受けるうそ寒さはなんだろう。
亜季が呆然と部屋を眺めていると、案内した女性が話し出した。
名札を見るとマエダとある。
話す言葉には抑揚がなく、何処と無くたどたどしい。
顔立ちも日本人ではないし、どちらかといえばネパールやインド辺りの女性に見える。
「では、衣類をこの籠に入れて、ここに仰向けになってください」
「え……、脱ぐんですか?」
「ええ、マッサージしますので」
エステだから当然だろうと言わんばかりだ。
それにしても、説明も無くいきなり実技とは驚きだった。
「全部ですか」
「ええ」
「――あ、あの、下着も、ですか?」
店員は僅かに頷くと、2枚のタオルを差し出した。これで隠せということらしい。
亜季は躊躇しながらも、ブラウスのボタンを外していく。
いくら女性とはいえ、他人だ。肌を晒すのは、ひどく嫌悪感がある。
けれど、女性店員の変わらない表情を見ていると、恥ずかしがっているこちらが
不自然なように思える。
ジーンズを脱ぎ、ストッキングを脚から抜く。
店員に背を向けながら、ブラジャーとショーツをゆっくりと外していく。
まさか、こんなところで全裸になるとは思わなかった。
頬の辺りが熱くなっていくのを感じながらも、亜季はベッドに仰向けになった。
胸と腰をタオルで覆う。
左腕に店員の微温い手が触れる。ぬめりとした感触が移ってくる。
亜季は思わず身震いした。
生暖かいゼリー状の液体をゆっくりと伸ばしながら店員が話し出す。
「毒は血液に乗って全身を廻っています。つま先から指先、顔、髪の毛を廻ります。
通常は尿や汗や新陳代謝によって体外に排出されるのですが、
毒の量が許容量を超えたり、体が弱っていたりすると、
毒は体内に蓄積していきます。対策としては二つあります。
体の機能を高めて侵入を防ぐか、単純に排出量を増やしてやることです」
「あ、あのすみません、毒って、なんですか?」
「一般的には水銀や鉛、カドミウムなどの重金属ですね。
活性酸素や食品添加物をさす場合も有ります。場合によればむくみや宿便もそうですね。
でも当院では、女性が綺麗に生きることを妨げるモノも含めて、毒と言っています。
例えば、悩みや妬み、自己嫌悪――」
宗教みたい。亜季は声に出さず呟いた。
だからエステか。綺麗になって自分に自信を持てか。確かに。
亜季の質問が途切れたのを見て、店員が続ける。
「私どもの施療は、気を用いて血流を制御し、
体の隅々に張りめぐらされた毛細血管を刺激することで、
毒を体内から沁み出します」
気? 沁み出す? よく分からない。
「それには、体の尖った部分を刺激するのが最も効果的になります。
尖った部分というのは神経の集まった部分であり、毛細血管の多い場所です。
血液が集約され、毒が溜まり易いのです」
抑揚のない一本調子で話しながら、店員が亜季の指を掴む。
指の一本一本を、爪の間までを丹念に揉んで行く。
手を、足を、指を丁寧にマッサージされていく心地よさに亜季はだんだんと、
体が熱くなってきたのを感じる。
いや、自分の身体ばかりではない。店員の手が熱いのだ。
触れられている部分から、熱が伝播してくる。
マッサージが亜季の腕を這い上がってくる。
店員の手が腕、肘、上腕、肩と、周辺から中心にへと移ってきた。
そして、タオルの下に潜り込むと、両手で乳房に触れ、ゆっくりとマッサージを始める。
変わらない動作、皮膚の続きだとばかりに自然な動作だった。
「あの、ちょっと・・・・・・」
亜季は店員の腕を掴む。
店員の掌は構わずにマッサージを続ける。
「さきほども言った様に、体の尖った部分というのを刺激しています」
指が乳首を刺激している。
付けられたゼリーのせいなのだろうか。くすぐったさも、痛さも感じない。
有るのは羞恥と、胸に押し込まれるか熱い何かだ。
店員のマッサージのリズムは変わりなく、淡々と続く。
ぬめりを帯びた掌が、乳房を包み込む。親指が乳首を押しつぶし、捻り、押し上げる。
「あ・・・・・・」思わず吐息が漏れる。亜季は下唇を咬み、言葉を押し殺す。
これはなんだろう。男の胸に抱かれているときの幸福感に包まれた官能とは違う。
無条件に訪れる恍惚。
機械的に乳房を揉まれているだけなのに、単なるマッサージでここまで感じるだろうか。
「毒素が出て行くとき、ある種の爽快感を伴います」
亜季の疑問を見透かしたように女性は、語る。
亜季の脳裏に「東洋の神秘」「エステと気孔をミックス」という広告のアオリが浮かぶ。
気孔? もしかして。でも、そんなはずは無い。そんなものはありえない。
亜季は一人かぶりをふる。
店員の掌は、下に移動し、下腹部をなぞる。
臍のくぼみを何度か揉んだ後、腰に巻かれたタオルをずらし始めた。
え、なに、尖った部分・・・・・・ まさか。
――止めて。
あまりのことに亜季は声を上げた。
いや、あげようとした。けれど声は出なかった。
何かが制止している。
あそこはどんなだろうかと密かに期待する自分が。
亜季の淡い茂みに、店員の掌が触れていた。
その直後、亜季の体の芯から、じわじわと、波の様に恍惚が襲ってきた。
思わず体がのけぞる。
店員の親指が亜季の性器に触れるたびに、小さな突起物に触れるたびに、
熱さが波紋のように四肢をめぐる。
「あっ!」
亜季は思わず声を上げた。
「あ・・・・・・あ、ん」
羞恥という枷が外れたかのように、幾度と無く漏れる。
股間が熱い。
膣の周りが重くなったかと思うと、亜季の恥部を熱いものが濡らし始めた。
液体が内股を滑り落ちていく。
目が霞む。店員の顔が滲む。
顔色を変えず、淡々と「作業」を行っているのだろう。
もうそれ以上見ないで。
胸が苦しい。
子宮の奥が疼く。
突いて。澱のように溜まった毒素を掻き出して。
入れて。掻き出した隙間を埋めて。
新たな恍惚の波が、押し寄せてきた。
ふと、店員の動きがが止まった。
「――時間です。体験コースは一時間ですので」
事務的な口調ともに、徐々に恍惚が去っていく。
生理的欲求のみが、脳裏にこびりついている。
うそ、そんな・・・・・・どうして。
お願い、続けて・・・・・・。
亜季は店員の腕を掴み、目に訴える。
「――終了です」
亜季の哀願も空しく、返事はそっけない。
店員は衣類の入った籠を示した。
のろのろと、下着を着ける。ブラウスを、ジーンズを纏った。
席を立ってもまだ、下肢が小刻みに震えている。
お尻の辺りが冷たい。見ると、白いシーツがねっとりと濡れていた。
「本日でも、ご入会はできますので」
部屋をでて、戸を占めようとすると、背後から声がした。
振り返る。彼女が笑みを浮かべて見送っている。初めて見る笑顔だった。