ロッカー痴漢
放課後の校舎は、祭のあとのような寂しい空気を漂わせていた。
闇に染まる廊下を、沈みかけの黄昏が切り取っている。
吹奏楽部の演奏が遠くから聞こえていた。
水着姿の古都夏美が校舎に戻ってきたのは午後六時を回ったころである。
放課後、誰も居ない屋内プールで静かに泳ぐのが、彼女の密かな楽しみだった。
しかしこの日は一人で占領していたはずのプールに、水泳部の人間がわらわらとやって来たので、
興ざめした彼女は、すぐに水から上がった。
プールわきの更衣室が使用禁止になっているため、
水着のままで二階の女子更衣室まで歩いていかなくてはならない。
仕方の無いこととはいえ、やはり人から見られたくはなかったので、
夏美は廊下を歩きながらきょろきょろと周囲をうかがってしまう。
上履きがリノリウムの床を叩く「ぱたぱたぱた」という音を響かせながら、
彼女は小走りで階段を駆け上がる。
水泳部の人間が戻ってくる前に、着替えを済ませて帰りたかった。
階段を上りきってから、夏美はまた周囲を見渡した。
幸い、この辺りには誰も居ないようだった。
校舎の二階、廊下の突き当たりに女子更衣室がある。
夏美はそそくさとドアを開け、一瞬廊下に目線を送ってから室内に入った。
そしてドアを閉じて、ふう、と溜め息をついた。
放課後とはいえ、やはり校舎を水着姿で歩くのは恥ずかしいものだ。
彼女は室内の小さな鏡に自分を映した。
肩から股間までを覆う藍色の水着は、いわゆるスクール水着で
学校のプールで泳ぐ以上当然のスタイルではあるが、
いかにもそれは「学校指定で着させられた」という風情で、
小学生の背負わされるランドセルのようで、なんだかみっともなく思えた。
どんなにスタイルのいい人間であっても、これを着ると
もっさりとして野暮ったい感じに見える。
露出度の少ない反面、体への密着度が高くて着心地も悪い。
少し痩せようかな、などと考えながら
夏美は鏡に映る水着姿の女をしばらく見つめていた。
鏡には、ポスターをはがした跡のある白い壁が映っていて、
その壁の前には、壁と同じくらい白い色をした女も映っていた。
鎖骨にかかる長い髪は黒く、一本一本が絡み合うことなく垂れていた。
くしを入れても引っかかることの無い長髪はまるで、
シャンプーのCMで見られるような流麗さを持っていたが、
白い肌と黒い髪のコントラストは強く人に死を連想させる。
独特の薄気味悪さもそこには存在していた。
しかし、その顔立ちは幼く、実年齢より二、三歳は若く見える。
良く中学生に間違われたり、弟より年下だと思われたりするのはそのせいだ。
ぷっくりとした下唇や、150あるか無いかの身長が更にその印象を強めている。
この幼げな外見は彼女のコンプレックスでもある。
特に身長の低さは、体の横幅を太く見せるため、
太ってもいないのに「ぽっちゃりしている」と思われてしまう元凶であった。
身長をせめてあと五センチ、胸ももう少し小さく。
それが彼女の些細な願いであった。
夏美は時計を見て、自分が鏡を五分近く見ていたことに気が付いた。
ナルシストどころか、コンプレックスだらけの彼女であるが、
こんなところを人に見られたらどう思われるか分かったものではない。
着替えよう。
そう思って、彼女はロッカーを開けて、自分の衣服を取り出した。
座椅子に制服と下着を乗せて、それから水着を脱ぐために左肩に手を当てた。
その刹那である。
更衣室のドアが、ばん、と音を立てて開いた。
夏美の肩が上に三センチほど弾んだ。
彼女はすぐに振り返った。
男の人?
そう思ったときには、すでにドアは閉められていた。
開いたときとは違い、まるで外の人間に
閉める音を聞かせたくないかのように静かに。
「ああ、悪い、着替え中だった?」
男がひらひらと手を振った。
余りにもそれが自然な態度だったので、
夏美の肩に入った力が抜けた。
「ごめんごめん、あっれ? 水泳部?」
男は更に続ける。
清掃に来た用務員であろうか。
夏美はそう考えて「あの、いえ」と曖昧な返事をした。
男は茶色い短髪で、若く見せてはいたが
30は下回らないだろうと夏美はすぐに判断する。
口の端にしわの出来る笑顔を見ると、下手をすれば35くらいは
行っているのではないかとも思った。
「水泳部じゃないのに、泳いでたんだ。へぇ」
男は軽く笑う。
夏美もつられて笑ったが、警戒心は解いていなかった。
女子更衣室に入ってこられただけで、十分怪しいのである。
「水泳部の子ら、そろそろ戻ってくるかなあ」
男が窓の方に向かって歩きながらそう言った。
「いえ、まだ、十分くらいは残っていくと、思いますよ」
途切れ途切れに夏美は答える。
未だスクール水着のままで、座席の上には下着が散らばったままだ。
男が窓の外を向いている隙に、彼女はブラジャーを制服の下に隠した。
「十分かぁ。もう六時回ってるのになあ」
「……」
夏美は黙りながらも考える。
六時以降、屋内プールが使えないというルールは無いはずだ。
「君は水泳部の子らと一緒に泳がないの?」
男は馴れ馴れしげに訊いて来た。
一瞬、自分の二の腕と肩を見られたような気がして、彼女は体を堅くする。
「別に、あの、一緒に泳ぐ理由は無いんで」
「そっかあ」
男はまた軽く笑って、それから夏美の方に二歩歩いてきた。
思わず後ずさりそうになったが、夏美はその場に留まった。
下がることは「迷惑だ」とアピールするにも等しく、
彼女にはそれをすることが出来なかった。
相手を傷つけたくないという優しさなのか、
相手を怒らせたくないという臆病さなのか、
夏美自身にも判然としなかったが。
男の手が蛇のように伸びて、夏美の肩に置かれた。
汗ばんだ掌の体温が、じかに肩に伝わる。
「痩せてるねえ、ご飯食べてる?」
からかうような調子で男が言ったが、夏美の頭の中には
すでに警報が鳴り響いていた。
男の態度の中に、何か危険なものが含まれている。
それは馴れ馴れしさ、というようなレベルではない。
草食動物に襲い掛かる寸前のライオンが、
一瞬力を溜めるときに見せる、獰猛な爪牙をあえて押さえ込む静けさ。
肩に置かれた手が、次第に力を帯びた。
すでにそれは「肉をつかむ」といった方が適切なほどだ。
離して下さい、と言おうとしたが声が出なかった。
恐怖心があったが、不思議なことにそれはどこか羞恥心も孕んでいた。
恐らくここが、放課後の更衣室でなく本当に完全な密室であればまた話は違ってくるだろう。
叫んでも誰も助けに来ず、また時間が経っても人が絶対に来ないような場所であれば
その恐怖と絶望感は凄まじいものがあるはずだ。
だが、ここは更衣室である。
大きな声を上げれば、もしかしたら教師や生徒が聞きつけて助けに来てくれるかも知れないし、
それにあと数分したら水泳部の人間が戻ってくるのは確実である。
ゆえに、恐怖と同じくらい彼女は羞恥も感じた。
こんなところを人に見られたくない、という。
そして、その想いは「できることなら一人で追い払いたい」という意思につながる。
「離して……下さい」
そういった意図に加え、緊張で口のなかがカラカラだったこともあり、
彼女の声はひどく小さかった。
「ん、何?」
男は「why?」と聞き返す外国人のように顔を突き出して肩を竦めた。
そして、肩の上に置かれた手が、夏美の水着をつまむ。
「今時スクール水着って珍しいね。高校生でも着るんだなあ」
「ゃ、ちょっ……と」
やはり夏美の非難はひどく小さい声になる。
無論、それは一層男を調子づかせることに繋がるだろう。
「中学生とかだと良く見るけどね……水泳部の連中は着てないでしょ?」
男の何気ない一言だったが、夏美の胸に苦く広がった。
水泳部の人間はみな競泳用水着であり、スクール水着の夏美は
彼らにプールに入ってきたとき強烈に恥ずかしくなったことを思い出す。
水着を軽く引っ張りながら、男は夏美の肩を見た。
その視線はゆっくりと鎖骨をなぞるように動いて、それから彼女の顔を見る。
否、顔ではない、唇だ。
自分の唇を射る視線の熱さに、また夏美の二の腕が総毛立つ。
「古都ちゃんって言うんだ……変わった名前だね」
男がそう言ったので、夏美は慌てて胸元を手で隠した。
水着の左胸の部分に、小さくだが名まえとクラス名が縫い付けられている。
男に名前を知られたことで、わけもなく動揺した。
知られることにどのようなデメリットが生じるか分からないのにである。
肩に置いてある方と反対側の手が、彼女の腰の方に動いた。
男の手から逃れようとして、夏美の身体が「く」の字に折れる。
それを追うようにして、更に手が伸びてくる。
「ゃ、困ります、なにっ、ちょっ、ぁ、困」
魔の手が尻に到達した。指先で肉をつまみ、それから掌で包み込む。
一度プールに浸かった水着は湿っていて、男の体温を夏美に伝える。
尻と肩を二つの手で撫でることで、男は夏美を抱き寄せるような体勢になっていた。
彼女は両手で男のみぞおちを押すようにして拒む。
「止めて下さい」
「二年生かあ……若いなあ」
感に堪えないという表情で、男は囁きかける。
その言葉にはあくまでも感情が無く、それが却って不気味に感じられた。
「このトシでも、こんなになっちゃうのかぁ」
「放し……てっ、やめ、てください」
「柔らかいね……」
まるで会話が成り立たない。
しかし男の行動は強制的であっても、暴力的にはなっておらず、
そのことがどこか夏美に油断を誘っていたのかも知れない。
この段階で大声を出しておけば、助かったかも知れないのだ。
だが、夏美はそれをしなかった。
このとき、校舎の中に水泳部員達が戻ってきていた。
そして、静かな女子更衣室の中にも、彼らの話し声が聴こえてきたのである。
「隠れて!!」
男が唐突に、夏美から身体を離した。
そして、扉が開いたままのロッカーに彼女の体を押し込む。
それがまるで、夏美を助けようとしているみたいで
思わず彼女は素直にロッカーの中に入ってしまった。
この状況を水泳部の連中に見られたくないという心理もあったのだろう。
夏美はロッカーに入ったあとで、遅まきながら
「私を隠れさせて、この男の人はどうするのだろう」ということに思い当たった。
どう考えても彼のほうが隠れなくてはならないはずだ。
水泳部の話し声が、次第に大きくなってきた。
階段を上り、この部屋に入るつもりだろう。
なのに、男には焦るようすが無かった。
彼は座席の上に散らばる夏美の衣服を掴むと、そのままロッカーに放り込んだ。
それからロッカーの扉をつかむと、トイレにでも入るかのように自然にその中に入ってきた。
男が扉を閉めると思っていた夏美は驚いて「えっ?」と声を出す。
ロッカーは本来、二人の人間が入られる広さではない。
事実、ロッカーの扉は完全に閉まりきれておらず、触れれば容易く開いてしまうと思われた。
夏美の身体がもう少し大きければ、恐らく入ることすら不可能だったであろう。
「何してるんですか、出てください」と言おうとした夏美だったが
実際には「なにして」まで言った時点で口をつぐまねばならなかった。
水泳部の人間が更衣室内に入ってきていたのだ。
三人、いや、四人か。
声を出して助けを呼ぶべきか。
夏美の心に一瞬の逡巡が生まれる。
今ここで出て行けば、どうなるだろう。
女の子が自分含めて三、四人。
男子更衣室に助けを呼びに行けば、恐らくは男を捕まえることは出来るだろう。
だが、ロッカーから二人で出て行けば、どうなるだろう。
まず男と二人でロッカーに入っていたことを、水泳部の人間に知られることに抵抗がある。
更に、ここで出て行くことで状況がどう転がるか分からない。
ただ、今後の学校生活に影響が出るのは確実だろう。それだけは間違いない。
がやがやと女子生徒が入ってきた気配がする。
「マジでー?」
「本当だし、すっごい汚くて」
「マァジ? ありえなくない?」
話し声はロッカーの中にも聴こえてきた。
夏美が奥にもぐりこみ、男がそれを覆うようにして
二人はロッカーの中にぎりぎりのサイズで納まった。
しかし換気もままならない狭い密室は、二人の吐息と体温で
たちまちむし暑くなる。
「暑い」と声を出したくなるほどであった。
汗がじわ、と額に滲む。
もちろんそれは、緊張と不安と恐怖のせいでもあった。
ロッカーの外から、女子生徒たちの談笑がわずかに聴こえて来る。
その楽しげな声を聴くと、いよいよもってここから出て行く勇気が萎えてくる。
男の鎖骨が、夏美の顔をうずめるように押し付けられていた。
ロッカーの中の二人には、ちょうど顔ひとつ分ほどの身長の差がある。
男の「はぁーっ、すぅーっ」という規則正しい呼吸が、夏美の耳にも届いている。
外の人間に気配を悟られないためなのだろう。
やがてその呼吸音が大きくなり、さらに夏美は耳元に強い熱を感じた。
そして、衝撃が夏美の背骨を貫く。
「……!! ……ぁ!!」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
そして、次の瞬間、とてつもなく大きな悲鳴をあげようとして口を開いて、
さらに次の瞬間、彼女はノドから出かかった声を、歯を食いしばってこらえた。
身体が数センチ単位で左右に震えて、ロッカーが音を立てて動く。
「何? 何か今動いた?」
女子生徒たちの不安げな声が、外から聞こえる。
まるでポルターガイストでも起こったように見えたかも知れない。
彼女らがこのロッカーの扉を開けないことを夏美は願った。
全身の毛穴から汗が滲んでいるような気がする。
身体のあらゆる筋肉に力が入っている。
どうやら彼女らはロッカーを開けにくるつもりはないらしい。
元々このロッカーは扉に外側に教師の名前が貼り付けられていて、
基本的に生徒が使わないものである。
だからそうそう軽々しく開けに来ないという期待があった。
だがそれと同時に、もう一度ロッカーを揺らしたら
さすがに警戒心を持たれることも間違いなかった。
だから、耳の中に入ってくる軟体動物のような感触を、
夏美は我慢することにしたのである。
耳たぶの産毛を舐めていた男の舌が、ずるりと耳の中に入り込んでいた。
それはまるで、夏美の耳垢を掃除しようとしているかのようでもある。
夏美の二十年に満たない人生の中で、恐らく最大の生理的嫌悪感が
彼女の背骨から這い上がってきていた。
例えば、自分の一番苦手な虫や、爬虫類を想像してみてほしい。
それがムカデであるか、ゴキブリであるか、はたまたヘビであるかは分からないが、
とにかくそれが、耳の裏から首筋に移動し、
襟から服の中に入っていくところを想像して欲しい。
鳥肌が腕や首筋にぶつぶつと立ち、全身が跳ね上がるのを抑えきれず
悲鳴を上げてのたうち回りはしないだろうか。
そして、それを自分の意思で我慢することが出来るだろうか。
彼女は、歯を食いしばり、全身に力を込めることで男の舌先に耐えた。
耳掃除の後、するすると首筋や頬に下りていく、なめくじのような愛撫に耐えた。
ロッカーの外に、人が居なければきっと耳を劈くような悲鳴を上げただろう。
嫌悪が走り抜けるたびに、びくん、びくん、と夏美の肉体が震える。
だが、彼女の必死の我慢をあざ笑うかのように、男の指先が動き出した。
男の指先が、じっとりと湿った水着のうえから、夏美の身体の感触を楽しんでいた。
男の表情は暗くてほとんど見えなかったが、
この状況を明らかに「楽しんでいる」ことが夏美には分かった。
むし暑くて狭くて、そのうえもしかすると警察に捕まるピンチであるにも関わらずである。
夏美の胸元に、男の両手がまるで下着のように添えられる。
それから自分と夏美の身体の間に手を挟めて、押し付けた。
そのまま彼女の乳房をくにゅ、と軽く鷲づかみにする。
異性にも同性にも、余り胸を触られたことのない夏美は
その忖度の無い手つきに、言い様のない不快感を感じる。
それは単なる生理的嫌悪というより、自分の日記を勝手に見られたときのような
無遠慮に対する怒りに近かった。
一方で、男の口は、夏美の頬に近づいていた。
それはキスなどという軽いものでなく、
「彼女の顔に唾液を塗りたくる」という、動物の生理行動のようなものであった。
舌や唇や歯を使って、男は夏美の顔をびちゃびちゃと舐めまわす。
彼女は必死で、顔を捻って逃れようとしたが、
逃れる場所が無いことは夏美自身が一番良く知っている。
早く水泳部の連中が出て行ってくれればいいのに、と臍をかむような想いが浮かんだ。
男は掌を乳房から抜くと、夏美のわき腹を撫でるようにして下に降ろした。
くすぐったくて、思わず彼女の身体がよじれる。
男の手は汗でぬるぬるになっていて、まるで脂でも塗ったかのようだ。
「でもさ、キャンサーの方がありえなくね?」
「ウッソー、ひどーい、ひどいし、マリー」
「だって今月のやつにさ、載ってたんだよ」
ロッカーの外では、アイドルのライブにでも来たかのように
黄色い声で雑談している女子生徒がいる。
恐らく着替え終わっているのだろうが、
ここで多少雑談するのが水泳部員達の習慣なのだろう。
夏美と男の身体は、すでに汗ばむというより
汗まみれであり、密着するとぬるりと滑るほどであった。
男の両手が、夏美の脚を開かせる。
女の脚を広げさせることが、どういう意味をさすのか
夏美にも良く分かっていたから、彼女は力を込めてそれに抵抗する。
しかし、音が出ないよう苦心している夏美に比べ
男は本当に無遠慮に手を捻じ込んでくるため、陥落は時間の問題であった。
夏美の脚が、肩幅くらいに広がると、
男は間髪居れずに、脚の付け根に指をさしこむ。
そして、水着を押し込むようにして、裂け目をなぞった。
膝を入れて、夏美の脚が閉じないようにしつつ、
もう片方の手を腰に回して、尻に指をあてがった。
その一方で、男はサラダオイルで洗顔したかのような顔を近づけて、
夏美の唇を舐めようと追いかけていた。
蛇のように、舌をちろちろ上下させながら、夏美の顔面の皮膚を
ねらねらと舐めまわし、彼女の汗をすすっているかのようだ。
首を左右に振って逃れようとする夏美の唇に、執拗にキスを迫っている。
恐らく、力づくではなく、夏美が抵抗を諦める瞬間を待っているのだろう。
そして、このまま延々首を捻り続ける気力がないことを夏美自身も分かっている。
しかし、理性ではなく本能がそれを拒絶していた。
人間にとって、女性にとって、唇と性器は
人間性を保つためにまさに守らねばならぬ天守閣である。
そして、それが一度も穢れていないとならば、尚更。
だが、夏美はそのふたつを同時に責められており、更に
強い抵抗の出来ない状況であった。
汗でぬめった指先が、湿った水着ごしに、夏美の性器に触れていた。
その指先は間違いなく、彼女の陰部を押し広げようと動いている。
そして彼女は、男の指がある一箇所をこするように振動していることに気付いた。
もちろん、そこが陰核であることを知らぬほど夏美は幼くない。
しかし、そこを執拗にかつ荒々しくなく、撫でるように愛撫されたときの感覚を彼女は知らなかった。
こすられる部位を中心に、じんじんと身体の内側から熱を持つような感覚。
下腹部に力が入って、身体が少しだけ前に折れる。
痛いわけでも、苦しいわけでも、くすぐったいわけでも、かゆいわけでもない。
この感覚を、何と表現するべきなのか、夏美はとっさに思いつかない。
触れられている部分から、腰を通って、背骨を這い上がり、脳に届く感触。
気持ち悪いけれど、腰の内側にある塊が溶けて流れていくような爽快感。
「……ふ、ぁ」
息と声の中間のようなものが口から漏れた。
その開いた口に、男の舌が、ずるりと入ってきた。
「もごふぁっ!!」
突然口の中に入ってきた異物に、思わず夏美は悲鳴を上げてしまった。
そして、直後に自分の出した声の大きさに気付く。
額からぶわっと汗が噴出してきた。
外の人間は聞いただろうか。
男は、じたばたする夏美の唇を押さえこむようにキスをして、
舌を再度捻じ込んでいく。今度は夏美も声を出さないようにするしかない。
分厚くてどろどろとしていて熱のある舌が、口の中で暴れている。
自分の舌に、男の舌が絡みつく。肉欲に溶けて溢れた唾液が流し込まれる。
これが、古都夏美の、十七歳のファースト・キスになった。
それに加え相変わらず夏美の陰部は、指の腹で執拗にこすられていた。
その指が不意にぴた、と止まって離れると、陰核がじんじんと痺れるような感じがした。
もう触れられていないのに、まだ触れられているかのような余韻が残っている。
する、とスクール水着をずらすと、男は夏美の股間にじかに触れてきた。
毛を撫でられる独特の感触。
そして、男の指先が、夏美自身ですら入ったことのない、肉体の内部に侵入しようとしていた。
ロッカーの外から、声がする。
「ねえ、さっき私らプール入ったとき、入れ違いに出てった娘いたよね」
「いたいたー」
とろりと、指の第一関節が夏美の体内に入ったとき、
彼女は自分が「濡らしていた」ことに始めて気がついて驚愕した。
何か熱い塊が溶けて流れ出ていくような感覚がしてはいたが、
実際に自分の体内から液体が流れていたとは思っていなかったのだ。
痛みを伴わない挿入に、違和感があった。
男は、一度指を抜くと、それを口に含んで指先を湿らせた。
そしてもう一度、夏美の下半身にそれを伸ばしていく。
右手の指先が体内に入り込み、左手の指先が陰核に触れていた。
熱い吐息が、男と夏美の間に交錯する。
そして、荒い息の音に紛れて、もう一つ、粘液がかき回されるような音がした。
汗と、唾液と、夏美自身が漏らしてしまった体液が混じった、
どろどろのスープが溢れている膣内に指を出し入れしている音が。
くちゃ、とガムをかむような音。
「……ゃ、聞こえる……外……」
蚊の飛行音ほどの声で、夏美は非難した。
男が耳元に口を近づけてきたので、また舌を入れる気かと夏美は身を硬くした。
だが男は耳たぶにキスをするようにしながら、一言ささやいた。
「……感じてる?」
「違います……ゃ、ちょっとぁやめ」
陰核をこする指が早まる。
夏美は頑なに否定したが、陰核からこみ上げる性感に
猫が鳴く声が漏れてしまう。
彼女は自分が感じてなどいないと信じているが、それは
性的な快感がどんなものなのか把握していない証拠でもあった。
「…………ぁ……ぃゃ…………」
俯いた夏美の顔に、再び男が接近して、笑顔を見せた。
汗の匂いと、暑さで、夏美は貧血を起こしそうになりながらも、
下半身の触感だけは意識から消すことが出来ない。
くちゃ、ちゅぁ、と音を立てて男は夏美の、下腹部の口をもてあそんでいる。
彼女の「口」は、だらしなくよだれを垂らしていた。
いくら我慢しようとしても、よだれはとろとろと無様に流れてくる。
「聞こえる、聞こえますから……」
懇願するような調子で、夏美は声を出した。勿論、羽虫の飛ぶ音のような声で。
外の人間に、音が聞こえてしまうから、やめてほしい、という意味である。
だが、それを聞いた男はむしろその勢いを増していく。
下半身の熱が高まるのと比例して、夏美の思考はどんどん拡散していく。
暑さのあまり、思考能力が無くなっているのだろうか? と自問する。
同時に、快楽が高まっていくことに恐れを抱いた。
この感じが高まっていくと、なにかが起こるのではないか、という不安。
どこかに向かって進んでいるが、そのどこかに辿りつくとどうなるのか分からない、という感覚。
しかし、男の手を止める気力が彼女には湧かなかった。その意思も。
「ぁ……」
これ以上、続けると、どこかに行ってしまう、という感覚。
死を怖れるが如く、それが恐ろしかった。
「ぁあ」
夏美が声を出さないように、男は唇で彼女の口を塞いだ。
一瞬、思考が途切れた。
頭の中が白くなる。
自分の腰が、耐え切れずに弾んだのが分かる。
びくん、びくん、びくんと三回震えた。
わき腹を捻って、肩を上下させた。
膝がかくかくと笑っている。
「はぁ……ああ……」
ため息が漏れた。
下半身に悦楽の余韻が残っている。
力が抜けて、頭がふらふらとして、膝が落ちて、
夏美の身体が男にもたれかかった。
その拍子に、男が二歩後退した。
背後の扉が「きい」と開いた。
涼しい、と夏美はおぼろげな意識で思った。
外の空気はとてつもなく涼しくて、甘美だった。
意識と思考がゆるやかに夏美の中に戻っていく。
周囲を見渡したが、水泳部の人間は居なかった。
何時の間に帰ったのだろう。
男が目の前で笑っている。
ズボンのチャックから、屹立した性器がのぞいていた。
ロッカーの中ですでに出していたのだろう。
彼はそれをホースのように掴むと、夏美の顔に向けた。
何をされるのか、夏美は全く予期していなかったため、
顔に大量の体液をかけられたとき
「きゃ、うわっ、やああっ!!」と大きな悲鳴を上げた。
とろろ芋のような、ねばねばとした白い体液を彼女は初めて見た。
男は何も言わず、それどころか、射精した直後からは
夏美のことを一瞥もせず、鍵のかけられた更衣室の戸を開けて逃げていった。
夏美はしばらく、床に女の子座りでへたりこんだまま、呆けていた。
火照った太股に、リノリウムの床が心地よい。
顔についた体液をふき取ろうとして、手でこすったが一層広がってしまった。
男性の体液がこれほど粘り気のあるものとは思っていなかった。
夏美は初めてこねくり回された自分の性器に手を添えると、
快楽の残滓が残っていることを確認する。
自分が何をされてしまったのか、理解するのにそれからたっぷり十分はかかった。